大量破壊兵器とビール
「Weapons of mass distruction」
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というandymoriの曲がある。
この曲が出来たときに、壮平さんはブログで、
「大量破壊兵器は恐ろしいから、みんなこれに振り回される。
兵器を作った人間、その兵器をめぐって殺しあう人間。
でも人間は放っておいても全員死ぬ。宇宙の運命に殺される。
つまりWeapons of mass destructionは人類全体にむけてすでに発動している。
太陽の光のように常に降り注いでいる。
君が知っている人は君も含めてまず間違いなく全員死ぬと思う。
今この瞬間にも君の体は削られている。
それはみんなが共有できる感覚だ。(2010.6.16)〈http://andymori.com/blog/blog.php?y=2010&m=06&select=oyamada〉」
と言った。
また別の日にはブログで、
「煙草も運転もゆっくりとした自殺なら、生きていることもそうだ。」
みたいなことを言っていた。
その通りだと私は思う。
つまり、大量破壊兵器が埋め込まれた地球で
生きるという手段を用いて、我々は緩やかに自殺しているのだ。
そしてそれは誰にも逆らえない。
と、私は解釈するし、そう信じている。
みなさんは、この話を聞いて、暗い話だなと感じるだろうか?
私はむしろ、果てしない輝きを感じる。
希望すら感じてしまう。
人は生まれて、緩やかに自殺をするために生きている、こんなにもうつくしい命があるだろうか、と。
「流れる雲のように、生きるには少しだけ
この体は重たすぎて、嫌になるけれど
戸惑う人、立ち止まる人、流される人
抗う人、嫌いになれない、
様々なあれこれ。(andymori/weapons of mass distruction)」
みんながみんな、大量破壊兵器のなかで、抗ってるのだとしたら、みんながみんな愛しく見える。みんな宇宙の運命に殺される。
この、緩やかな死への道のりを、人を嫌い憎むことに使うことに意味があるのかい?
それならば私は愛したいと思った。あなたを。
この道のりで出会ったあなたを愛し、偶然話が合ったらちょっと語り合おう。
目を会わせて、手を繋いで、抱き合って。
そしてまた歩きだそう。
緩やかに死にゆく道を、共に歩む人がいれば私は幸せだと思う。
一日にいくつものブログを更新するのはどうかと思ったのだが、書いておかないと忘れてしまうし、Twitterではとても書ききれない。
変な女の独り言だと思って聞き流してほしい。
と、いうように、
こんなことを思いながら、andymoriのweapons of mass distructionを聞く。
ビールを飲みながら。
春の匂いが一層強くなって、
大学入学の頃を思い出すそんな夜に、
私はビールを飲みながら、
緩やかに死んでいく。