ミヤさんの日記

日々思ったことを忘れないように書いておきます。好きな音楽の話が多いです。独り言の日記、つらつらと。

助手席で思うこと

日付の変わる30分前、助手席に乗って思うことはなんだろう。

 

 

昨日は、月曜日が憎くて憎くて仕方がなくて、たまらなくなって、いつものお店に飲みに行ってしまった。

常連さんや、マスターや、お店の年下の子と楽しくお話をして現実逃避をしていた。

それでもものすごく心地よくて、楽しくって、それだけで十分で。それだけで幸せだったのだ。

 

23:00すこし過ぎに帰ろうとしたら、お店の子が車で家まで送ってくれた。

色んな話をしたけど、あんまり覚えてなくて。

雪は、降っていなかったけど、道路は雪で固まってて。

田舎だから全然車もなくて。

少しだけ遠回りして。

ただ、ちょっとだけ、私はずるかった気がする。

酔っていたわけではないと思うけど。

 

どうでもいい、他愛もない会話をして。助手席に乗って、私は何を思っていただろう。

 

最近、10代の頃の恋愛を思い出している。

返信が来なくてヤキモキしたり、会えるだけで嬉しかったり、そういうときもあったなぁって。

 

どうしようもないけど、凄まじく愛おしいのよね。そうだったときって。

今は、少しでもそういう思いが浮かびそうになると、ガキかよって、かっこよくいようって、そう思ってなんか、無邪気になれなくなる。

 

でもそういう気持ちは確かにまだ私の中にあるんだと思う。

恋愛ソングを聞いて胸が苦しくなったり、誰かを思い浮かべて、どうしょうもなくなって苦しくなったり、あの人の一言で天にも上れたり。

 

複雑に絡み合った私の今、って感じ。

もう少し、ここにいてもいいかなぁ、ここにいたいなぁって思うのが最近。

 

誰にも言えない思いを、一番尊敬している先輩に話したら、楽しめばいいんじゃない?って。

そうだよね。


楽しめないほど苦しいというかモヤモヤすることもまぁあるけど、

半ば無理矢理に楽しんだほうがいいのかもしれない。

 

今日は昨日飲みすぎてタバコ吸いすぎて、全然寝た気がしなかったから、早く寝ます。

 

 

 

 

 

昨日の夜、今日になる30分前、私は助手席で、何を思っていたのだろう。

確かに言えることは、好きな人のことを考えていたということ。

 

 

 

 

早く明日の夜になれ。

早く明日の夜になってほしい。

金曜日だからかわからないけれど。

すべてを許せる気がする。

 

明日の夜は自由になれる。

明日の夜はリセットできる。

明日の夜は落ち着ける。

明日の夜は私になれる。

 

早く、明日の夜になれ。

明日の夜が永遠に続け。

 

気づきたくないはずの思いに期待してる。

行くべきでない道に、行きたがっている。

そういう気持ちを抱えていられる。

なにもかもを包み込む、明日の夜に。

 

明日の夜が楽しみで仕方がない。

特に、何かがあるわけではないのだけれども。

きっと、美味しいお酒が飲める。

きっと、美味しいタバコが吸える。

 

こんなことを考える、明日の前日の夜は、何を聞こうか。

 

きのこ帝国のラプスがかかる。

なかなか、素敵な夜だなぁ。

 

なぜ疑うことだけ上手になるの

誰かを信じたい、それだけなのに

 

なにはともあれ、わたしは、ずっとずっと、この前の土曜日から、明日の夜を望んでいた。

期待していた。

早く明日の夜になれ。

あと22時間ぐらい。

 

私の寿命が22時間縮まってもいいから、早く明日の夜になってほしいよ。

泣きたいほどに、明日の夜になってほしい。

こんな気持ちは久しぶりだな。

 

いやな朝も、明日なら愛せる気がする。

適当にギターを弾いてからゆっくりと眠ろう。

 

早く明日の夜になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶり。

お久しぶり。

ブログを書くのが。

 

大学生の頃はものすごく頻繁に書いてたんですがね。

久しぶりに、久しぶりの気持ちになったので、つらつら書くのを再開しようかとおもってます。

 

今は、ビールを2缶飲んで、テキトーギターを弾いて、ベランダでタバコを吸ってます。キャメルのメンソールのやつ。

雪が溶けきらないなぁ。寒すぎる。

 

今でもタバコもお酒も大好きで、やめられない。

辞めようとも思わないけれども。

 

聞いているのはGalileo Galilei

高校の頃から大好きなんですよね。

そして、今はSIRENを聞いてます。

どうしようもない気持ちになったときに聴くのですよね。

なんとなく切ないけどなんだかよくわからないって気持ちを歌ってくれているような気がしてる。

メロディは最高だし、歌詞の意味は本質的にわからないけど、なんとなく、自分を重ねて聞いてる。

 

今日は本当にどうでもいいことを書きます。

東京から、ある田舎に就職で配属されて、もうすぐで9ヶ月が経とうとしています。

上司は普通に面倒くさいし、会社には行きたくないし、でなんとかダラダラしてるし、都会は恋しいし、で

色々とね。

 

3ヶ月前ぐらいにものすごくいい飲み屋を教えてもらって、通い詰めているんだ。

そこにいる田舎から出たことのない年下の子が、東京の方から来た私をすごく憧れのような目線で見てくるのだけれど、それは、まぁ、それで良いんだけどね。

 

私は君が思うほど大人じゃないよ。

 

って思うんだ。

でも、年上としてかっこよくいたいわけで。

大人と子どもの狭間ってどこなんだろうね。

 

年下の青さを見せつけられたときに感じるものなのかな。もう戻れないなって思ってちょっとセンチになって感じるものなのかな。まぁ、いいや。

 

いろんな人に出会って、いろんなことを考える日々だけれども、音楽はやっぱり裏切らないなぁって思う毎日です。

なんだか脈絡の何もない話になってしまった。

最後にGalileo GalileiSIRENの好きな歌詞をつらつらと書いて終わります。

 

声をかけても聞こえていない、そんなところが僕は嫌いで、好きだった

 

決まったやり方で、僕らは幸せになんかなれない

 

優しいだけの言葉が、僕の口からシャワーのように吹き出しては虹を作る。

七色に光る綺麗な虹を、「汚い色ね。」って君は笑って泣く

 

外で月を見ようよ、僕はそれを見てるよ。

もうそれだけでいい。本当にそれだけでいい。

 

 

 

おやすみ。

 

 

 

 

 

 

6月のベランダは寒かった。

あれよあれよと言う間に6月になってしまった。 

就職活動という名の会社巡りを初めてもう3ヶ月らしい。早すぎる。

私の時計はまだ3月のままである。

最近暑かったり、雨降ったり、寒かったり、天気が情緒不安定で、私まで情緒不安定になりました。(いつもか。)

 

いまベランダでボーッとしてるのだが、6月はじめのベランダは寒い。

曇ってるし。星も見えない。

私の家のベランダはとても狭い。

木曜日に出し忘れた一般ゴミと、威厳灰皿に使っていた韓国の焼酎の瓶が転がっている。

寒い。

 

今聞いてるのは、ユーテロに帰るっていうバンドのグッバイウォーリーっていう曲。

このバンドは確か、ユーテロに帰るから、グミって言うバンドになって、そして解散した。

久々に聞きたくなったけれど、活動もしてないし、YouTubeの動画も消されていて、彼らがこの世界から消えてしまうのではないかと、とてもとても悲しくなった。

 

彼らの曲は心の内をそのまま歌にしたようで、ストレートで、明るいのに切なくて、青春ってこんなだったなぁーと考えてしまう。

彼らの曲で大好きな歌があって、「フェイバリットバンド」っていう曲なんだけど、歌詞が本当に素敵だった。

 

「君の好きなそのバンド

俺、全然いいと思わんから。

その訳はきっと君がそこにいないから。

とてもじゃないけど

メジャーデビューできないけど、

心を込めて歌ったら届くかな?

の好きなあのバンドみたいに。」

 

結局メジャーデビューせずに解散しちゃったのかな?

でも、心を込めて歌ってくれたから、届いたんだよな。彼らの声が。

今もいたらきっとライブに行ったのになぁ。

彼らの曲をもう聞けないのだろうかと思うと、胸が締め付けられるようだよ。

この曲は、ここから聴けるから、ぜひ。

https://eggs.mu/song/c943d134b295b5c1117a44d990cfbe2141847c2cc03d765819c53389021235cf/

 

バンドとかって、ある日突然いなくなることもあるよね。だから、会えるうちに会っておかないとなぁと、最近考えて、ライブ、結構行く。

バンドに限らず、会いたい人には会ったほうがいいと思うよね。ありきたりな言葉だけど。

 

わたしは就職したら、関東にいられないかもしれなくて、どこか別の土地に行くことになるかもしれないんだ。

そう思ったら、今しか会えない人もきっとたくさんいるんだろうなと。

家族とも友人とも恋人とも、頻繁にあえなくなるかもしれない。

そして新しい土地でまた、新しい人脈を作っていくことになる。

不安はないけど。

 

解散していった彼らみたいに、忘れられてるかもしれない。

新しい人々に夢中になるかもしれない。

私も。

 

そう考えると、今大切にしている何人かの人達との時間を大事にしなきゃなと思う。

忘れないように、忘れられないように。

まぁ、先のことだからそんなに今から考えることもないと思うけど。

6月1日になってなんか、ふと考えた。

 

1年後には私はどこにいて、誰といて、何してるんだろうって。

私が近くにいなくて、寂しいと思ってくれる人が一人でもいてくれたらいいなぁ。

忘れられるのは怖いことだから。

 

さて、もうひと踏ん張りしなければいけないので、6月もめげずに頑張ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

10分後も10年後も同じように生きているだろうか。

「私がいなくなったとしても、誰かに残った思い出は生き続けるだろうか。」

 

中学の頃から好きで、好きで、本当に好きな唯一のガールズバンドがある。

その名もチャットモンチー。私が好きになったバンドは、解散するか、有名になってよくわからない歌を歌うようになるか、のどちらかだ。

そして、彼女たちもまた、解散してしまった。

昔聞いていた曲を、ずっと聞き続けていると、あの頃から私の精神は何も変わっていない、自分だけがあの頃に取り残されてしまっていると、考えてしまう。

私は今も変わらず、青春と呼ばれたあの頃のままだ。

 

CATWALKというチャットモンチーの曲は、中学生の私の心に刺さって、これこそが私の生き方であると思った。

私がいなくなったとしても、誰かに残った思い出は、生き続けるだろうか。

家族、今まで出会った友人、恋人、知り合い、電車で席を譲った老婆、海外のホテルのお姉さん、ネットの人。

 

この曲を聞いたときに、私がいなくなったとしても、きっと世界は通常通りに回っていて、いつもの時間に電車が来て、いつものようにお店は開店するんだなぁと、思った。

それでも私は今日もこの、世界のなかで、

息をして、

好きな歌を聞いて、

好きな人のことを思って、

本を読んで、

家族に会いたいと思って、

友達とバカみたいなLINEをして、

未来のことを想像して、

なにか掴もうとしている。

なんとか誰かと関わろうとしている。

その営みに意味があるのかと言われたら、なにもないけれど、私がいなくなったときに、誰かの思いでの中に生きていたいと思う。

人に忘れられることこそが、人の「死」であると私は、信じているから。

 

明日、私が突然いなくなったら、誰かが私のことを思って心配してくれるだろうか、

不安に思ってくれるだろうか。

一人ぐらいはいてほしいなぁ。

私が死んで灰になった時、この世に確かに私という人間が存在していたことを証明できるのは、私ではなく、私と関わった他者であると思う。

彼らの心に私がいる限り、私の生きた証は証明されるのだと思う。

だからこそ、私は誰かの思い出の一部になりたい。

そのために生きているようなものだとすら思う。

 

色々な人に会いたいと思うのは、

自分と違う考えの人と会いたいとか、

新しい私を見つけたいとか、

いろんな考えに触れて人生を豊かにしたい、

とかいう綺麗事じゃなくて、

本当はただ、相手の記憶に自分という存在を残すというそれだけな気がする。

世界に自分が忘れ去られないように、自分の断片をいろんな人にばらまき続けている。

 

と、この曲を聞いて思った。

 

「10分も10年後も、同じように生きているだろうか」

10分後の自分と、10年後の自分。

自分の意思で、今と同じように生きているだろうか。

なにも変わらないかもしれない。

ただ言えることは、今の私より、生きた時間が多いということ。

10年経つ頃には、ふとしたときに思い出す人はきっと今と違う。

私のことを思う人も、きっと今と違う。

私のなかで生き続けている誰かも、

誰かの中で生き続けている私も、

きっと今と違う。

良いも悪いもない。ただ、流動するだけ。

 

10分後も10年後も、私は誰かの中にいたい。

そして、この世界に存在していると実感したい。

忘れ去られることがあるのなら、きっと、新しく私を大切に思ってくれる人がまた現れて、流動して、浮遊する。

そんなことを考えていた。

 

どうでもいい話だけれど、この文章をベランダで書いていたら、4ヶ所も蚊にやられた。

昔からとってもとっても蚊にやられやすい。

血がうまいのか……?

痒い。

痒いという感覚もまた、生きているという実感なのか。

私の血をたっぷり吸った蚊は、

腹に私の遺伝子を連れて、

世界を浮遊しているのだろうか。

なんてね、蚊はただただ憎い。

本当にどうでも良い話だったな。

今日は晴れてよかった。


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 彼女がタバコをやめない理由

澄んだ空が綺麗だから 風の音を聞きたくなる

もう どこにいても私 だめだと思うんだ

お母さん ごめんね

 

ぎゅっと抱きしめて もっと抱きしめても

あなたもあの人と同じ人だものね

もう知らないよ でも嫌なんだ

だから今日も私 変わらないわ

 

どんなに言い訳したところで

どうにもならないものね

こんなはずじゃなかった

テレビの誰かも言ってた あの頃はよかった

 

愛してる、そばにおいで。

呼んでみてもきっと返事は聞けないから

もう知らないよ でも嫌なんだ

だから今日も私 変わらないわ

 

通りすぎる人たちが足早に明日へと向かってる

このタバコの火が消えたら私も

歩き始めるから

 

夢のほとり どんな時も

うれしい気持ちはとても可愛いメロディー

 

忘れないよ あなたのこと

だから今日も私 変わらないわ

だから今日も私 変わらないわ

 

(小山田壮平/彼女がタバコをやめない理由)

 

はじめてこれを聞いたのは、確か壮平さんのツイキャス

聞いたとたんに、あ、これ、私の歌なのかな?って思ったのを覚えてる。

「もうどこにいても、私、ダメだと思うんだ」

ってところに。

いつも満たされないし、何をしてても不安なままな私。そんな漠然とした思いを、彼は意図も簡単に言葉にしてくれた。

そして、この曲を聞いたときに、こんな状態の私を、私は、もうどこかで諦めているのだろうと自覚した。

諦めていることを知ると同時に、どこかで満たされること、安心することを望んでいたのだということも自覚した。

でも、どこにいてもダメみたいだ。

私の母は、「あなたが幸せならばお母さんはいつだって大賛成だよ」と言ってくれる。

でもね、私には幸せがわからないんだ。

お母さん、ごめんね。

 

いろんな人に出会って、いろんな話をしてもどうせみんな同じように、「それなりに」だものね。

そうじゃないものを期待したって、信じたって、傷付くのは自分だから、期待しないし信じない。

でもほんとはそんな自分が嫌だ。

期待したいし信じたい。

だからといって、抗えないし、荒ぶれない。

だから、私は今日も変わらないわ。

 

と、私の物語に当てはめるとこんな風になる。

自分を律するための、自分を自分で保つための手段が、きっとこの曲の「私」にとっての、タバコなんだろうな。

もう知らないって突っぱねることができれば良いのかもしれないけれど、それをするときっとあなたは簡単に離れていく。

離れていかない確信がない。自信がない。信じることができない。

だから、それはできない。それはとても怖いものだと思う。

だから私はあなたが振り向かなくても、「それなり」だとしても、変わらないでいる。

自分のために変わらない。変わらないことが、ひとつの防衛なのかもしれない。

 

 

もうどこにいてもきっとダメなんだろうなって

ビックリするぐらい優しい声で歌うから、泣きそうになった。

andymoriの時からそうだけど、女性目線で歌う曲は今まであまりなかったと思う。

最近になって増えてきたかな?

彼に心酔している私だから、彼が誰を思って歌ったのかが気になるなぁ。

そして、もっとそういう曲が増えてほしいな。

 

「だから、今日も私変わらないわ。」

って歌詞で、

本当は変わりたいって思ってるけど、恐れて「変われない」自分を、「変わらない」って言うことによって、律しているのではないかな。って思った。

私みたいに。

 

壮平さんの歌う歌はどれも優しいから、私はいつも頼ってしまう。

満たされない心を壮平さんで埋めようとしてしまう。

でも、壮平さんは裏切らない。信じていいよと言ってくれた。だから私は壮平さんの瞳から逃れられないし、目をそらしたくない。

寄りかかるものがなくなってしまうから。

彼が、どんな意図でこの曲を作ったのか、私にはわからないけれど、私はこの曲を自分のもののように大切に、大切にします。

早く音源化してほしいな。毎日この曲で起きたい。

 

色々書いたけど、今日は少し酔っていて、なんだか泣きそうな気分です。

なぜだろうか。この曲を聞いて、冷静に自分を見つめて、とても寂しくなった。

なんなのかな。このいつまでたっても満たされない気持ち。

そんな気持ちにいつも蓋をして、見ないフリをして。

 

何が正しいのか、わからないな。

なにもなかったらゆらゆらしてしまう私をなんとか保っているのだ。

何があっても揺るがない自分を作るために、私は今日も変わらないわ。



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「こんなこと」をあなたに言ったら…

「こんなこと」をあなたに言ったら、あなたはどんな風になるだろう。
 
かわいいと言って抱き締めるだろうか。
困った顔で目を逸らすだろうか。
苦笑いで頭を撫でるだろうか。
聞こえないフリでやり過ごすだろうか。
 
 
恋をしていると、時々私は、どうしようもなくただの女なのだと自覚するときがある。
それは、世界でただ一人の「私」ではなく
世界にありふれているただの「女」の一人なのだと。
彼女たちと変わらない。
バカで、みっともなくて、
どうしようもなく可愛い。
言ってしまいたい言葉も、したいことも何一つ変わらない。
 
それは私にとって希望に近い。
そして絶望に等しい。
 
ただ1つ、彼女たちと違うのは私が勘違いできないということ。
世界の中心が自分だと勘違いできないということ。
自分が誰かの特別だと勘違いできないということ。
 
人間として、女としての遺伝子配列を持つただの物質の塊だと思ってしまう。
私と同じモノは、この世にごまんとある。
 
なぜ、私は他の彼女たちのように勘違いすることができないのだろう。
思うことも言いたいことも彼女たちと一緒なのに。
勘違いできないから、言葉にできない。
永遠に満たされない。
何者にもなれない。
 
何を言われても、誰かの世界の特別だと思えない。
代用可能な物質の塊。
 
一方で私は、勘違いしたくないと強く思ってしまっている。
勘違いをすれば幸せになれることも、満たされることも知っている。
ただの女として、彼女たちとなにも変わらないのだ。本当になにも。
 
それなのに、勘違いの中にある幸せが、本物だと思えない。
そんなもの捨てた方がマシだとすら思う。
馬鹿馬鹿しいと思う。
だから永遠に幸せなどやってこない。
 
純粋に幸せを感じることができる時もある。
一瞬でも。
でも、私だけなのだ。
私だけが勝手に幸せなだけなのだ。
だからその一瞬は文字通り一瞬で、まばたきをした途端に空っぽになる。
夢を見ているようだ。幸せな夢を。
 
私の頭は永遠に夢を見せてくれるようにはできていない。
途切れ途切れの、夢を、幸せを、麻酔のように見せてくる。
だから永遠に満たされない。
 
 
 
私は、言いたいと思っている「こんなこと」を永遠に口に出せない。
普通のことなのに。
「こんなこと」にどんなに素敵な言葉を返されても、私はきっと疑ってしまう。
いや、絶対に。
勘違いできない。
だから、言わない。
何を言われれば満たされるのかは私にもわからない。
 
きっと私の性質なのだから、何を言われても永遠に満たされない。
すべてが偽物の言葉、もしくは使い回しの言葉に聞こえるのだ。
もしかしたら、私のために死ぬと言われれば、満たされるのかもしれない。
でも一緒には死んでらやない。
そういう残酷な自分に気が付いてしまうと、彼女たちと違うと思えて少し嬉しくなる。
 
私もただの女として、かわいいだとか、好きだとか、愛してるだとか、素敵だとか、言われたいと思う。嬉しいと思う。
ただの女として言いたい、「こんなこと」もたくさんある。
でも、言ったところで満たされないことも知っている。
 
私が特別だと思ってきた彼らは、今でも私の中でやっぱり特別だ。
彼らの中で私は特別ではないと分かっていても。
私のこんな腐った性質は、早く土に還ってしまえばいいのに。
 
ただの女と永遠に満たされない私の間で今日もどこかへ行こうとしている。
 
(この文はフィクションであり、実在する人物や団体とは何の関係もありません。)